2005年4月20日水曜日

それからドイツへ?

ベルリンに行くまでの何ヶ月かの間どうしようかと思っていた矢先、ドイツのダルムシュタットという所で現代 音楽の講習会があると聞き、前から好きだったピアニストのハン・カヤさんが講師で来ているということで、ピアニストに演奏を聞いてもらおうと思い、フラン スを逃げるように向かいました。
打楽器の先生は中村功さんで、大学の頃一度演奏を聴いただけで全く面識のない方でした。僕はピアニストの方に興味 があったのですが、中村先生のレッスンを受けた時、<今できる限りのことはやってる、けどこれから先に進みたかったら器を大きくせなあかん!>と切り出さ れました。はじめは何のことかさっぱりわからなかったのですが、いろいろお話を伺っているうち、僕がパリで習っている歌の先生と言っていることが同じで、 頭打ちになっていた僕に大きな一石を投じてくれたのです。
これだ!と思ったらまた一直線、この先生に習いたい!一からやり直したいと思いました。 そして先生が教えているカールスルーエ音楽大学にレッスンに通うことになりました。家財道具を大学の打楽器庫に置かせてもらい、ベルリンに行き、パリと カールスルーエを往復しながら、歌と打楽器の両面から新しい演奏という世界に入っていったのです。この時期はドラマがいっぱい!で一冊の本が書けるほどで すね。音楽的なことはworkshopのほうに書きますが、本当に今までのものは全て壊そう、ニュートラルな状態にしよう、そればっかり考えていたように 思います。それまで忙しい日々から演奏活動はとりあえず置いて、学生として、練習とレッスン、大学に入ってから一年は基礎練習とバッハ、この2つに絞って やりました。